ジャングルの平和 2019 12 29
書名 世界標準の戦争と平和
「国を縛る法律」は存在しない
著者 烏賀陽 弘道 扶桑社
「国際社会は、経済力、政治力、
情報力、軍事力という力のぶつかり合いである」
「それぞれが国益を最大化しようと主張と行動を繰り広げる」
私は、少年時代、剣道の練習に励んでいました。
しかし、ある時、友人が、
「それでは、自分の身を守ることはできない。
ぜひ、空手を習得すべきだ。
剣道と空手をマスターすることで最強になれる」と言うのです。
乗り気でない私に、友人は、
素手で瓦を何枚も割ることができるというのです。
実際、友人は、一瞬にして、
瓦を何枚も割って、私を空手に誘いました。
私は、不思議な経験をしました。
瓦を目の前にして、
「はたして、素手で瓦を割れるのか。
手の骨を折ってしまうのではないか」と怖気づいてしまいました。
すると、友人は、
「腕力で瓦を割ろうとすると怪我をしてしまう。
頭の中で瓦が割れたイメージを作ってからやれば、
瓦は、自ずと割れるのだ」というのです。
なんだか念力で瓦を割るような感じがして、
怖くなりましたが、不思議な修行した結果、
私でも、瓦が割れるようになってしまったのです。
しかしながら、少年の私は、その破壊力に驚き、
「二度と使うまい」と自分自身に誓い、
使えない「兵器」となりました。
念力はともかく、武道の修業は、
精神の鍛錬につながることは間違いないと思いました。
そういう精神の鍛錬によって、念力が増すかもしれません。
さて、著者によると、第二次世界大戦後、
皮肉なことに、核兵器を保有している国は平和が保たれ、
核兵器を保有していない国は、悲惨なことになったという。
確かに、ユーゴスラビア内戦は、
あまりにも悲惨すぎる内戦となりました。
ユーゴスラビアは、多民族国家であり、
ひとつの屋根の下に、
「6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、
2つの文字により構成される1つの国」と言われました。
ユーゴスラビアに、共通の目標や理想があるうちは、
まるでモザイク芸術のように美しい国だったかもしれません。
ウクライナの不満 2015 2 14
国際政治の評論家である日高義樹氏は、著書で、こう述べています。
「ウクライナの非核平和外交は、無力だった」
1994年12月5日、ウクライナは、
ソ連から分離独立した時に保有していた1900発の核弾頭を、
ロシア側に引き渡す条約に調印した。
この条約は、核拡散防止条約の一部として取り扱われ、
アメリカとイギリスが、
核兵器がなくなったウクライナの安全を保障することになっていた。
つまり、この条約は、核兵器を引き渡す代償として、
アメリカによってウクライナに安全と平和が与えられるというものだった。
これで、ウクライナは、核兵器を持たず、
日米安全保障条約のもとで安全を保障されている日本と同じ立場になったのである。
(中略)
しかし、2014年、ロシアがウクライナのクリミア半島を占領した直後、
ウクライナ議会の議員は、アメリカのテレビに出演して、こう述べた。
「我々は、1994年の取り決めに基づいて核兵器を諦めたが、
あれは大きな間違いだったと、多くの人々が考えている」
(引用、以上)
それでも、ウクライナは、こう言うかもしれません。
「あの条約は、何だったのか」と。
これに対しては、あの条約には、「有効期限」があったと考えるべきです。
アメリカで政権が変われば、有効期限が到来するというものです。
このような約束は、プレイボーイが耳元でささやく甘い約束のようなもので、
それを信じたウクライナは、愚かだったのです。